#パラオ戦後80年、パラオの野戦病院跡で集団埋葬地発見
南太平洋の島国パラオで、太平洋戦争時に日本軍が設けた「旧陸軍第123兵站病院」(通称・和久井病院)の実態解明が進んでいます。戦後80年の節目を前に、ジャングル内に病院の跡地が確認され、当時病院に勤めていた98歳の女性から貴重な証言も得られました。特に重要なのは、病院跡地周辺から数百人規模の日本人が眠る集団埋葬地とみられる場所が発見されたことです。また、国立公文書館では部隊の名簿が発見され、総勢617人の兵士・軍属のうち、青森県や岩手県出身者が多数を占めていたこと、92人が現地で亡くなっていたことなどが明らかになりました。パラオ本島での戦没者の遺骨収集は未だ1割程度にとどまっており、この大規模な集団埋葬地の発見は、国の遺骨収集作業を大きく前進させる可能性を秘めており、歴史的・社会的に高い関心を集めています。
話題の理由
戦後80年という歴史的な節目を前に、これまでほとんど実態が不明だったパラオの日本軍野戦病院跡地と、数百人規模の集団埋葬地が発見されたため、注目されています。遺骨収集が国の責務とされる中で、具体的な埋葬地が特定されたことは、遺族にとって大きな意味を持ちます。また、当時の貴重な証言や詳細な部隊名簿が明らかになったことで、戦争の悲惨さを再認識し、平和への意識を高める重要な機会となっているためです。